出自、歴史的背景、そして芸術家としての第一歩
ラモン・モントーヤ・サラサール(Ramón Montoya Salazar、マドリード、1879年11月2日 – マドリード、1949年7月20日)は、19世紀的な歌や踊りの従属的伴奏という立場にとどまっていたフラメンコ・ギターを、国際的な独立した独奏コンサート楽器へと昇華させた決定的な人物である。マドリードの下町ラバピエス地区ロンダ・デ・トレド通り4番地にて、バリャドリッドのリオセコおよびバダホスのフレヘナル・デ・ラ・シエラにルーツを持つヒターノ(ロマ)の家畜商の家庭に生を受けた。彼の出身地や出自は、フラメンコ・ギターの発展がアンダルシア地方のみに限られていたという従来の歴史的通念を覆すものであった。
彼が楽器に触れた最初の環境は、口承伝承、移動生活、そして経験主義に基づくものであった。幼少期には巡回サーカスの馬の世話を手伝っていたが、12歳の頃、父親から馬の買い付けのために渡された資金を使ってマドリードの蚤の市(ラストロ)で最初のギターを購入した。正規のアカデミックな音楽教育を受ける機会はなかったが、街頭の盲人演奏家の手の動きを観察し、父親から基礎的な手ほどきを受け、さらに19世紀末のギタリストであるミゲル・ボルール(父)や「エル・カニート(El Canito)」から直接的な影響を受けた。特にエル・カニートのリズムやファルセータ(ギターの間奏旋律)は、モントーヤの音楽語法の原点となった。
1895年、16歳前後のモントーヤはカフェ・カンタンテ「エル・ペス(El Pez)」でプロとして初舞台を踏み、マドリードのフラメンコ界に本格的に身を投じた。その後、エル・ポプラール、エル・ナランヘーロ、ラ・セバダ、ラ・マグダレーナ、エル・マラビージャス、カフェ・デル・ガトなどで名声を高め、カフェ・カンタンテの代表格である「ラ・マリーナ(La Marina)」では8年間にわたり首席ギタリストを務めた。この長期契約期間中、モントーヤは歌や踊りの伴奏における厳密なコンパス(リズム規律)を極めると同時に、純粋な器楽演奏の試みを重ね、1897年頃にはすでに初期の独奏リサイタルを行った記録が残されている。
ドン・アントニオ・チャコンとの美学的連帯とトケの専門化
1912年からチャコンが没する1929年まで続いた、ヘレス出身の名カンタオール(歌い手)ドン・アントニオ・チャコン(Don Antonio Chacón)との歴史的共演は、フラメンコにおけるギターの地位を根本から変革した。それまでフラメンコ・ギターは、主に歌い手の息継ぎを支える打楽器的なリズム伴奏やサパテアード(足踏み)の補強に甘んじていた。しかし、リリック・テノールのような声質と、マラゲーニャ、グラナディーナ、レバンテ地方の鉱山歌(カンテ・ミネーロ)で繊細なメリスマを展開するチャコンの歌唱には、和声的な洗練と柔軟な対位法を備えた伴奏が不可欠であった。
モントーヤは、従来の粗野で反復的なラスゲアード(かき鳴らし)を排し、繊細なアルペジオ、計算された休符、豊かな拡張和音を組み合わせた対位法的伴奏を構築した。この一体感について、チャコン自身が「モントーヤのギターは私自身の声であり、私そのものである」と称賛し、当時の批評家たちからも歌とトケ(ギター演奏)の究極の調和の模範とみなされた。
| 歴史的出来事 | 年 | 重要性および美学的意義 |
| カフェ・カンタンテへのデビュー | 1895年頃 | 「エル・ペス」での開始、その後の「ラ・マリーナ」(8年間)専属契約。規律ある伴奏の確立と初期の独奏トケの試み。 |
| ピカード技法の体系化 | 1905年頃 | 人差し指と中指(i-m)を交互に用いる高速アポヤンド・ピカードの体系化とコンサート音量の獲得。 |
| グラモフォン社との専属契約 | 1910年頃 | 78回転SP盤への独占録音契約締結。当時のフラメンコ伴奏の規範を記録。 |
| グラナダのカンテ・ホンド・コンクール | 1922年 | マヌエル・デ・ファリャやフェデリコ・ガルシア・ロルカらが主導した歴史的コンクールで、アントニオ・チャコンとともに公式審査員を務める。 |
| サルスエラ劇場でのオマージュ | 1928年 | 「ラモン・モントーヤ金杯(Copa de Oro Ramón Montoya)」を受賞し、同時代のギタリストの中で独奏者としての絶対的地位を確立。 |
| オペラ・フラメンカ期 | 1920年代–1930年代 | 興行主ヴェドリーネスにより「ギターの魔術師」と称され、大劇場や闘牛場で自立した独奏コンサートを行う。 |
| パリ録音(BAM) | 1936年 | マリウス・デ・サヤスの主導により14の独奏トケを録音。フラメンコ・コンサート・ギターの正式な規範化を達成。 |
| アメリカ公演と国際的リサイタル | 1937年–1940年代 | ブエノスアイレス(マラビージャス劇場)やヨーロッパでのラ・アルヘンティーナとの共演。自らの流派を国際化。 |
1920年代から1930年代にかけて興行主カルロス・ヴェドリーネスらが推進した「オペラ・フラメンカ」の時代において、モントーヤは前例のない人気を獲得した。ポスターには看板カンタオールと同等の大きな文字で名が記され、劇場や闘牛場を埋め尽くす大観衆が彼の独奏ファルセータを聴くために足を運んだ。
技術的革新、調形態論、および楽器製作論
クラシック流派の受容と身体機構の刷新
モントーヤの音楽的革新の鍵は、フラメンコ本来の力強さを失うことなく、クラシック・ギターのアカデミックな技術を取り入れた点にある。マドリードのスペイン・ギター協会(Sociedad Guitarrística Española)との交流を通じて、フランシスコ・タレガの直弟子であるミゲル・リョベートと出会った。モントーヤはリョベートの演奏から、正確なタッチ、内声部のポリフォニー処理、均質な音色の探求を学び取り、それをフラメンコ特有の右手の身体運動へと適応させた。
この技術革新の代表例が、キンキージョ(5連符)で奏でられる5音フラメンコ・トレモロ(運指:$p-i-a-m-i$)の確立である。クラシックの標準的な4音トレモロ($p-a-m-i$)に対し、下降音列の前に人差し指($i$)を置くことで、リズムの打進力を保ちながら密度の高い旋律線と十分な音量を確保し、高音域での豊かなレガートを可能にした。アルペジオにおいても、従来の単純な4連符を脱し、6連符の導入、上昇・下降の連続、立体的な「オルキージャ(二股)」の配置など、多彩な和声的テクスチュアを生み出した。
ピカード(音階奏法)においては、1905年頃に人差し指と中指($i-m$)を交互に使った強力なアポヤンド(爪を弾いた後、隣の弦に指を当てる奏法)を体系化し、電光石火のスピードとクリアな音色を実現した。親指(プルガール)およびアルサプア(親指の往復運動)の技法も、素朴なリズム掻き鳴らしから、表面板への打撃音とベースラインの旋律を独立して鳴らす3連のポリフォニックな奏法へと進化させた。
和声面では、従来の「ポル・アリバ(ミのフリギア旋法)」と「ポル・メディオ(ラのフリギア旋法)」という2つの基本的アンダルシア終止の制約を打ち破った。レバンテ地方の楽曲に固有の響きを与えるため、タランタを嬰ヘ($Fa\sharp$)フリギア旋法、グラナイーナをロ($B$)フリギア旋法、ミネーラを嬰ト($G\sharp$)フリギア旋法として定着させた。さらに、変則調弦(スコルダトゥーラ)を導入し、開放弦の共鳴を拡張した。ファルーカやガアヒーラでは6弦をレ($Re$)に下げ、ロンデーニャでは2本の弦を調弦し直すことで新たな響きを開拓した。
| 奏法機構・和声的要素 | モントーヤ以前の伝統的奏法 | モントーヤが導入した革新 | フラメンコ楽曲構成における意義 |
| トレモロ機構 | クラシックの4連符構造(p-a-m-i)の限定的模倣または偶発的使用。 | 5連符(キンキージョ)による5音トレモロ(p-i-a-m-i)の創出。 | 豊かな歌謡性と超絶技巧を兼ね備えた持続旋律の確立。 |
| アルペジオ | 単純な2拍子系パターンや経過和音のラスゲアード。 | 6連符アルペジオ、ダブル・アルペジオ、オルキージャ(二股)配置。 | 複雑なポリフォニーの創出と和声テクスチュアの自立化。 |
| ピカード | アポヤンドを用いない単音弾きで、音量・音圧が限定的。 | 人差し指と中指(i-m)を交互に用いる高速かつ強力なアポヤンド・ピカード。 | 明瞭で鋭い音色による独奏スケールの展開。 |
| 親指奏法(アルサプア) | 素朴なリズミック打撃と「クエルダ・ペラ(剥き出しの単音奏法)」の併用。 | 低音旋律とストロークを融合させた近代的な多声的アルサプア。 | 高音部に対抗する対位法的なベースラインの構築。 |
| 変則調弦(スコルダトゥーラ) | 標準調弦(E-A-D-G-B-E)のみ。ポル・アリバ(ミ)とポル・メディオ(ラ)のフリギア旋法が中心。 | 6弦をレ(D)、3弦をファ♯(F#)に下げる(ロンデーニャ)。6弦をレに下げる(ファルーカ)。 | 開放弦を活用した完全4度や短2度の不協和音響の導入。 |
サントス・エルナンデスとの楽器製作上の共生関係
高度な和声、超高速のピカード、大ホールを満たす音量を実現するためには、楽器そのものの構造改革が不可欠であった。19世紀の弦長の短いギターや重厚なクラシック・ギターは、フラメンコが求める俊敏なアタックと乾いたプロジェクション(音の飛び)に欠けていた。こうした状況下で、モントーヤはマヌエル・ラミレス工房出身で1921年に独立した名工サントス・エルナンデス(Santos Hernández)と緊密に連携した。
エルナンデスは、モントーヤの要望に応えて現代フラメンコ・ギターの標準設計を確立した。厳選された極薄のドイツ松(スプルース)の表面板に、非対称な扇状力木(ファン・ブレーシング)、そしてシープレス(白ギター)またはハカランダ(黒ギター)のボディを組み合わせることで、鋭いレスポンス、乾きつつも引き締まった重低音、耳に刺さらない透明な高音を実現した。モントーヤが愛奏した1916年製「ラ・レオーナ(La Leona)」や1926年製「ペピータ・ヒメネス(Pepita Jiménez)」は、現代のフラメンコ・ギター製作における模範となっている。
コンサート・ギターの確立:ロンデーニャとパリ録音(1936年)
独奏曲としてのロンデーニャの再創造
ロンデーニャの再創造は、フラメンコ独奏レパートリー成立における最大の節目である。それ以前のロンデーニャは、ミの旋法で伴奏される素朴なファンダンゴ系民謡歌唱の伴奏にすぎなかった。モントーヤはこれを歌や踊りから完全に切り離し、自立した器楽組曲へと再構築した。
この曲のために考案されたのが、6弦を $Mi$ から $Re$ へ1音下げ、3弦を $Sol$ から $Fa\sharp$ へ半音下げる特殊調弦($Re-La-Re-Fa\sharp-Si-Mi$)である。この調弦により、押弦した4弦の $Fa\sharp$ と開放弦の間に生じる短2度の不協和音や、開放弦の連続による完全4度の跳躍が可能となり、陰影に富んだ深遠な和声空間が生み出された。モントーヤのロンデーニャは、その後のサビカス、マリオ・エスクデロ、パコ・デ・ルシアらに受け継がれ、フラメンコ・ギタリストにとって必須の金字塔的作品となった。また、舞踊手ファイコやアントニオ・デ・ビルバオとの協働により、2拍子系の『ファルーカ』の形式美と短調の厳粛な伴奏法を確立した。
パリでの金字塔的録音(1936年):ラ・ボワット・ア・ミュジーク(BAM)
20世紀初頭から多数のSP盤を吹き込んでいたモントーヤであったが、その大半は歌の伴奏にとどまっていた。フラメンコ独奏を高水準の芸術音楽としてヨーロッパの表舞台に提示する決定的な転機は、1936年10月のパリで訪れた。
モントーヤの芸術的価値を深く理解していたセビリア出身の美術家マリウス・デ・サヤス(Marius de Zayas)が資金を提供・企画し、アルベール・レヴィ=アルバレスが主宰するフランスのレコード会社「ラ・ボワット・ア・ミュジーク(La Boîte à Musique / BAM)」でセッションが実現した。スペイン内戦が勃発した動乱の最中、モントーヤは14曲の独奏曲を吹き込み、『Arte clásico flamenco(古典フラメンコ芸術)』と題された78回転SP盤6枚組の豪華セット(BAM 101〜106、追加曲はBAM 107)としてリリースされた。
この盤にはヴィクター・ランドルフ(バージニア・ランドルフの筆名)によるフランス語の音楽学的解説が付属し、各トケの形式美とリズム構造が詳細に分析された。これにより、フラメンコのファルセータが単なる気まぐれな即興の羅列ではなく、明確な序奏、アルペジオやトレモロによる主題展開、厳密なコーダ(締めくくり)を備えた高度な組曲であることが国際的に証明された。
| 原盤・録音体系 | 形式および年代 | 収録 palo(形式)・曲目 | 音楽的・歴史的意義 |
| グラモフォノ/オデオン/コロムビア各社SP盤シリーズ | 78回転SP盤(1910年頃–1935年) | カンテ伴奏:ソレア、シギリヤ、マラゲーニャ、カルタヘネーラ、タランタ、ファンダンゴ等。 | 近代フラメンコ伴奏法の規範確立。チャコンやフアン・ブレバとの共演による標準形式の記録。 |
| BAM 101 〜 BAM 106(『Arte clásico flamenco』) | 78回転SP盤6枚組特製セット(パリ、1936年) | 独奏14曲:ロンデーニャ、ソレア、シギリヤ・ヒターナ、タランタ、グラナディーナ、ファンダンゴ、ガアヒーラ、ブレリア、タンゴ、ミネーラ等。 | 国際的なクラシック音楽の基準に達した史上初のフラメンコ独奏アルバム。コンサート・ギターの出発点。 |
| BAM 107(補遺音源) | 78回転SP盤(パリ、1936年) | 『ソレア』および『シギリヤ・ヒターナ 第2番』。 | ホンドの根幹をなす形式の深化。変拍子や複合リズムの緻密な展開。 |
| 没後の再発盤および音源アーカイブ | LP/CD(Le Chant du Monde、Frémeaux & Associés等) | アンソロジー選集(『Grandes figures du flamenco』、『L’art de Ramon Montoya 1924–1936』等)。 | 保管・研究用資料としての国際的普及。音楽院や音楽学者によるモントーヤ規範の研究基盤。 |
伴奏規範の確立と主要録音
1936年のパリ録音によって独奏者としての栄誉を極めたモントーヤだが、伴奏者としての録音遺産もフラメンコ史において極めて重要な価値を持つ。1910年頃にグラモフォン社と専属契約を結んで以来、彼のトケはカンテ・ホンド復興期の最高峰の演奏を盤面に刻み込んできた。
フアン・ブレバとの共演盤では、過度な装飾を抑えてブレバ特有の渋みのある歌唱を引き立て、19世紀的なマラゲーニャの厳粛な基盤を記録した。ドン・アントニオ・チャコンとは1913年から1928年にかけて50曲以上を録音し、カラコレス、グラナイーナ、タランタ、マラゲーニャの全レパートリーにおいて、歌の余白に極めて優美なポリフォニーを織り込む対話スタイルを完成させた。
さらにパストーラ・パボン(「ラ・ニーニャ・デ・ロス・ペイネス」)やその兄トマス・パボンといった正統派ヒターノの巨頭たちの伴奏も務めた。ニーニャ・デ・ロス・ペイネスとのペテネーラ、バンベーラ、シギリヤでは、パボン一族特有の深みのある叫び(ケヒオ)と自由なテンポの揺らぎに完璧に寄り添った。
加えてマヌエル・バジェホ、マヌエル・エスカセーナ、ペペ・マルチェーナ、アンヘリージョ、フアニート・バルデラマ、ホセ・セペーロ、ハシント・アルマデン、アウレリオ・デ・カディス、フアニート・モハマ、ニーニャ・デ・ラ・プエブラなど、20世紀前半の主要な歌い手の伴奏を網羅した。これらの演奏を通じて、独善的な技巧の誇示を退け、歌との有機的な調和を最優先とする伴奏美学が確立された。
系譜、後世への影響、およびスペイン音楽における超越性
歴史的継承:モントーヤ、リカルド、サビーカス、そしてパコ・デ・ルシア
20世紀におけるフラメンコ・ギターの発展史は、4人の巨匠による連続的な継承構造として理解される。すなわち、ラモン・モントーヤ、ニーニョ・リカルド、サビーカス、そしてパコ・デ・ルシアである。各世代は先達の成果を否定するのではなく、それを自らの身体感覚で吸収し、新たな技術的・音楽的次元へと昇華させていった。
ラモン・モントーヤは、すべての礎を築いた建築者であった。自立した独奏レパートリーを着想し、5音トレモロやアポヤンド・ピカードを体系化し、新たな調弦を開発してロンデーニャという独奏形式を創始した。この基盤の上に立ち、マヌエル・セラピ・サンチェス(ニーニョ・リカルド)はアンダルシア下流地方の感性によってモントーヤ流派を変容させた。モントーヤのクラシカルで気品あるトケに対し、リカルドはファルセータを凝縮し、シンコペーションを効かせた強烈なスウィングと深い哀愁(ホンドゥーラ)を注ぎ込むことで、セビリア風の生きた現場の言葉へと再構築した。
ほぼ同時代に、幼少期からマドリードでモントーヤの演奏を吸収したアグスティン・カステジョン「サビーカス」は、楽器のメカニカルな完成度をかつてない領域まで押し上げた。早くからアメリカに渡ったサビーカスは、モントーヤが生み出したファルセータ群に驚異的なスピードと寸分の狂いもない明瞭なタッチを与え、カーネギー・ホールのような大ホールでも生音で響き渡る右手のパワーを獲得した。サビーカスによって、完全な独奏者としてのフラメンコ・ギタリストという存在が世界的に定着した。
そしてパコ・デ・ルシアが歴史的統合を果たした。幼少期にリカルドのリズム感とサビカスの完璧な技巧を叩き込まれたパコは、ラモン・モントーヤこそが近代ギターのすべての源流であることを公に認めている。パコはモントーヤが1936年に切り拓いた開放弦の響きや多声的探求を受け継ぎ、それをジャズやボサノヴァ、現代音楽との融合へと発展させていった。
直系の弟子たちと音楽史的再評価
モントーヤの影響力は、世界各国に彼の奏法を広めた数多くの直系ギタリストたちにも及んだ。甥のカルロス・モントーヤは、叔父の書法とスタイルをもとにアメリカ各地でリサイタルを行い、伝統的なフラメンコ界の外側へその魅力を知らしめた。マリオ・エスクデロやエステバン・デ・サンルーカルらは、モントーヤの調性構成をもとに複雑な独奏曲や管弦楽曲を作曲した。
また、ルイス・マラビージャス、ペペ・マルティネス、フスト・デ・バダホス、ペリコ・デル・ルナールといったギタリストたちが、モントーヤ流の伴奏の純粋性を守り抜いた。特にペリコ・デル・ルナールは、1954年のイスパボックス社による歴史的巨編『アンソロジー・デル・カンテ・フラメンコ』の音楽監督を務め、モントーヤがかつてSP盤に残したトケの様式、調性、ファルセータを尊重して各形式を体系化した。
現代の音楽学的研究においても、その評価は確固たるものとなっている。ギタリスト兼研究者のアグスティン・カルボネル「ボラ」による伝記的プロジェクト『ドン・ラモン・モントーヤの夢(El sueño de don Ramón Montoya)』などは、当時の楽譜や証言を発掘し、モントーヤの先駆的ビジョンがフラメンコを世界的な舞台芸術へ押し上げた事実を学術的に明らかにしている。
結論
ラモン・モントーヤ・サラサールの歴史的偉業は、民族的なルーツを損なうことなく、楽器のあり方を全面的に再創造した点にある。フラメンコ・ギターが民俗的な伴奏や居酒屋の粗野な演奏にとどまる危機にあった時代に、彼はタレガやリョベートらクラシック界のポリフォニーと身体運動機構を取り入れ、フラメンコに学術的・芸術的尊厳を与えた。
独奏曲『ロンデーニャ』の創作、5音トレモロの導入、スコルダトゥーラによる旋法拡張、名工サントス・エルナンデスとの協働による現代フラメンコ・ギターの確立など、彼の成し遂げた変革は数知れない。1936年にパリで吹き込まれた独奏録音は、現代フラメンコ・ギターのすべての系譜が依って立つ、永遠の原点であり続けている。
